ヘイヘイおじさん取材レポート

7月末日の猛暑の中、横浜ドリームランドの跡地に行くこととなり、ヘイヘイおじさんこと新井俊次さんにお会いできました。
事前にHPに顔写真掲載の許可をご依頼する手紙を送っていましたが、自分の電話番号を書くのを忘れたため連絡が取れず困っていらっしゃいました(すみません。)
跡地訪問の時に人づてに運よく連絡が取れたので、質問リストを作成していませんので、昼食を取りながらの雑談のようになりました。今回はそんなゆるい雰囲気のレポート(箇条書き)です。


2018年撮影

〇ミュージックエキスプレスについて
ヘイヘイ(掛け声)は、小泉今日子が学園天国をカバー(1989年頃)し、ヒットしたのの真似をしてやっていた。怒られるかもしれないと思っていたが、特に怒られなかった。
ミュージックエキスプレスの人気は、すごいものだった。
他のアトラクションが空いているにも関わらず、ヘイヘイおじさんの休憩中や、故障時(元は施設、修理担当のため、アトラクションが壊れたら自分の手で直すことができます)も直るまでお客さんが列を作って待っていた。1~2回は分かるが、10回以上も乗っている人もいた。閉園時間を過ぎても、ミュージックエキスプレスだけ明かりをつけて、遅くまで運転していた。10時を過ぎることもあった。
他の従業員の運転では、やはり人気が出ない。そのためヘイヘイおじさんには休みがなく、帰宅したら声が出なくなってしまう日々であった。
閉園も決まった頃は、時間通りに帰れないことが多かった。あと1回、あと1回が何度も続いた。休憩時には、園内アナウンスで今から行くから待っててね~と言っていた。他の遊園地ではできない事だと思う。
閉園後、ミュージックエキスプレスは、メリーゴーランドなどと一緒に小山ゆうえんちへ引き取られる話が出た。しかし、条件はヘイヘイおじさん付きでとのことで、栃木まで通勤できないので断った。ドリームランドの地が好きであり(現在も近くにお住まいです)他の遊園地じゃだめというのがドリームランドにはあった。
結局、ミュージックエキスプレスは中東の国クウェートに渡った。現在も稼働しているので、行ってヘイヘイやりたい。通じないかもしれないが。
※ミュージックエキスプレス(とレインボー)は、『Kuwait Magic Island Park』に現存しているようです。
海岸沿いのショッピングモール兼、遊園地の一帯です。

ヘイヘイおじさんの衣装はメリーポピンズをイメージした高級品。(※製作は筑濱プロダクション)013年の夢座の舞台「横浜ドリームランドへの手紙」では当時の衣装を着て出演した。

2013年横浜夢座の展示品

ヘイヘイおじさんの衣装資料。(築濱プロ製作)


若い頃の貴重なブロマイド

〇オフのヘイヘイおじさん
会社が終わったら、ドリームボウルによく行っていた。
子供に見つかってたくさん集まってきてしまうので、練習にならなかった。子供にボウリングを教えるイベントも行った。
大船の銭湯に週3で行っていた。サウナで汗を流してダイエット、しかし入った後おいしい食事をしてしまっていた。
お酒は飲めない。もともと好きじゃないが、ジュースと間違えてカクテルを一気に飲んでしまって、真っ赤っ赤になってしまったことがあった。

〇現在
夫婦で元気。ドリームランドの近くでずっと暮らしている。
車(人形がたくさん飾ってありかわいい)がないとどこにも行かれないが、手放すことも考えている。
遊園地が無くなっても取材があちこち来る。とあるテレビ局のカメラマンと仲良くなり結婚式に余興できてほしいと言われたこともある。
お客さんからもらった手紙は全部大切にしている。ひとりひとりの事が気になり、日々考えている。

閉園後の備品の所在についても伺いましたが、最後はごちゃごちゃになってしまったものが多く、詳細は不明とのことです。
ミュージックエキスプレスの愛用マイクも、欲しかったけど行方不明になってしまったというお話が印象に残っています。
ヘイヘイおじさんはお客さんを喜ばせようという強い気持ちを持った真のエンターテイナーであり、今日現在も、ドリームランドのことを深く想っていらっしゃいます。
そんなとても素敵な人柄で、とても楽しい時間でした。お暑い中、本当にありがとうございました。今度は準備をしっかり行い、改めて、取材できればと思います。

コメント

  1. 後藤 より:

    新井さん懐かし~ほかの従業員も今は何してるんでしょう^^

    • tacco より:

      何人かとお会いしましたが、皆さんそれぞれにお元気で頑張っていらっしゃるご様子です。
      ただ、集まったりということはなかなか出来ないままに、歳月が経ってしまっているようです。

    • ひろげん より:

      残念ながら新井俊次さんは、
      2021・4・17に80歳で他界されました。
      又、大阪の笑福亭仁鶴さんだって、
      4ヶ月後の8・14に84歳で
      他界されてしまいました。

  2. 俣野町 より:

    就職するまでドリームランド徒歩圏に住んでいました。懐かしい!
    大学生のときはドリームランドでアルバイトをしていました。
    94年ごろに宙返りロケットを動かしていたのは私です(笑)
    新井さん、今でもお元気かなぁ。

    いまや坂の上も当時の面影なく、また全国の遊園地が次々と無くなってしまってTDLの一人勝ち。客の主体性を認めてくれた昔ながらの遊園地が無くなるのは寂しい限りです。

    • tacco より:

      コメントありがとうございます。
      また、返信が遅くなり申し訳ございません。
      宙返りロケットはドリームランドにあった時代が短かったようで、とても貴重です。
      もし、記事に事実と異なる点等があれば、ご指摘ください。
      仰るとおり自分で楽しみを探せる場所が少なくなってきていますね。
      レトロコンセプトのアトラクション施設などはありますが、本当の昔ながらの遊園地とは面白さが全く違います。
      新井さんは、今も近隣にお住まいのようです。

タイトルとURLをコピーしました