モノレール詳細紹介

ドリーム交通大船線

ドリーム交通大船線は、1966年開業のモノレール路線である。
このモノレールは東京芝浦電気(以降、東芝)が中心となって開発した「東芝式モノレール」と呼ばれるもので、一本のレールに跨って走行することから一般的には跨座式(こざしき)と呼ばれ、ぶら下がって走行する懸垂式モノレールと区別されている。
東芝のドキュメントにおいてはこのような跨座式モノレールを騎乗式モノレールと呼称しているが、以降は一般的な、跨座式という呼称を用いる。
この東芝式モノレールの栄枯盛衰を語るうえで、ライバルであった日立の存在を欠かすことはできない。日立製作所はドイツ・アルウェーグ社との技術提携により、名鉄犬山モンキーパーク線、よみうりランドモノレール、そして都市交通としての東京モノレール羽田線の開業にこぎつけ、同時期にモノレール開発の実績を確立していった。

日立が手がけた東京モノレール羽田線。

東京オリンピックを見据え1964年に開業した。
低重心構造ゆえの最高時速80キロの高速走行が特徴。
低重心タイプのモノレールとしては他に名鉄犬山モンキーパーク線やよみうりランド線があるが、ともに現存しない。
原型となったドイツ・アルウェーグ式モノレールでは、米国ディズニーランドを周回するものが有名である。

東芝は海外のメーカーとの提携をせず、純国産技術の開発にこだわった。そして1961年に府中工場にて奈良ドリームランド向け遊戯鉄道車両を製造。2例目に実用的な交通路線として大船線の設計開発に着手し、営業運転を行う第一号路線となったのだ。
奈良と大船は同じ「東芝式」と呼ばれるモノレールだが、東芝が作ったという事実はあれど全く同じ規格ではなく、奈良のほうが一回り小さく作られていてレール断面のサイズが異なるなど、規格そのものに違いがみられる。
また余談だが、三菱重工が牽引するサフェージュ式懸垂モノレール(代表例が湘南モノレール)に対抗して、東芝は懸垂式モノレールの開発にも意欲的であったようで、日本車輌製造と組んで日本初のモノレール開発にも協力して技術を獲得していた。


日本車輌製造が中心となり、東芝も参画した上野動物園モノレール。
園内をゆっくり走る試験線だが、当時は都電に代わる交通手段として注目されていた。。
1957年開業の日本最古のモノレールであったが、2019年10月に運行休止している。


ドリーム交通に4年遅れ、1970年に大船~西鎌倉で開業した湘南モノレール

懸垂式という方式で、フランス・サフェージュ社と三菱重工の提携で建設された。
大船駅で2つのモノレールの線路が並んだが、1967年に運休となったドリーム号が並ぶことはついに実現せず、結果として東芝式に対する優位性をアピールすることとなった。

ひとことで「東芝式」と呼ぶ中に様々な形態が構想されていたようだ。(それらが実現することはなく、残された資料から推測することしかできないのだが・・・)
東芝は奈良ドリームランドのモノレール完成後、山岳観光路線と都市通勤路線など異なる形態のモノレールを作ろうと考え、図面や試作車を用意していたようだが、大船線の車両はこれらの資料とは異なる形態のものであり、設計重量もかなり低く見積もられたものであった。モノレールの経歴については本記事の読者はすでに十分ご存じであると思うので、ここでは「あれからも運行できていれば東芝モノレールがどのような特徴を持つ交通機関であったか」という観点で、ドリーム交通大船線を検証してみよう。

土木の特徴
モノレールは、列車走行用のレールが強度部品を兼ねているのが特徴だ。例えば道路であれば、橋とアスファルトは別れているし、電車であっても橋と線路は分かれている。しかしモノレールは線路が橋そのものとなる構造であるから、強度を持ちながら線路としての形状を持たなくてはならない。
ドリームランド線に使用された線路は、主に鉄筋コンクリートであり、鉄筋を入れた枠にコンクリートを流し込み、固めることで製造する。このためモノレールの建設にあたっては、現地にてレールを製造工場を設営して作成して輸送しなくてはならず、さらにモノレールにはさまざまなカーブや坂があり、それぞれで線路の形状が異なってしまうという課題があった。この課題に対し、東芝はコンクリートを流し込む型枠を微調整する工法を開発し、多種多様なレールを製造する手法を確立した。
また、クレーン車を使った架設には向かない架線を横断する区間では、長い鋼製レールを作成して持ち上げ、対岸へ伸ばすように移動することで架設したとされる。

車両の特徴
車両は2編成、「ドリーム」「エンパイア」と名付けられていて、この2編成は連結走行が可能でなように設計されていたようだ。その根拠となる部品が、ドアとライトの間にある「ジャンパ栓」という電線を束ねたホースである。
電車を連結すると、2編成の電車を1つの運転台で遠隔操作する必要があるため、電車の電気回路を接続する必要がある。このプラグがジャンパ栓である。各編成のドリームランド側先頭車にあり、これを連結相手の大船側先頭車に取り付けることで、2本の車両は1つの回路で動くようになる。
またブレーキを動かす空気圧の制御は、密着連結器に付いている空気管の穴を密着させることで接続される。そして連結後、運転台からの弁操作で空気配管の圧力を抜くと前後の編成が連動してブレーキをかける仕組みになっている。
連結運転を全く想定していない電車ではこのような連結用部品を省略したり、デザインの都合で隠すこともある中、ドリーム交通の車両にはこれが扱いやすい位置についている。
ここからは、東芝モノレールに特徴的な車両構造について説明していく。純国産を謳う東芝モノレールの最大の特徴は連接ボギー台車にある。

連接車とは、2車体の間に1台の台車がある構造の電車のことである。カーブを走るときに車体の両端のはみ出しを減らし、カーブの通過に強く、また高速走行に強いという特性を持ち、急カーブを高速通過するために優れているとされているが、構造が複雑というデメリットを持っており、新幹線の開業など鉄道業界がスピードアップを追求した時代には各社で様々な連接車が考案され、新幹線での高速試験でも行われたが、路面電車など負荷のかかりにくい路線で実用化された他に続かず、現代ではほとんど採用されていないニッチな技術でもある。
ボギー台車とは、タイヤを線路に追従させて首振り(ステアリング)をする構造を持つ台車のことで、急カーブの多い日本の山岳路線でのタイヤの横滑りによる摩耗を減らし、保守性を向上する狙いがあったとされている。
ライバルの日立はドイツで実績のあった単車構造を採用し、のちに名鉄犬山モンキーパークのモノレールで自主的に改良して連接車を導入するが、東京モノレールでのボギー台車の採用は1969年まで待たなければならない。

中間連接台車。レールの上にあるのが走行車輪、左右に張り出しているのが主電動機(モーター)である。レール側面には、電車をレールに追従させる上部側面車輪と、車体を安定させる下部側面車輪がついている。
台車中心部には車体と結合する揺れ枕(図中黄)があり、前の車体・後ろの車体用に2組設置されている。揺れ枕同士をリンク(図中緑の部品を左右で結合する)で結合することで、カーブで列車がくの字に曲がったとき、台車が常にカーブの接線方向を向くようにリンクが左右で釣り合いを取る仕組みになっている。
台車は車体への上下・左右・前後の力を伝達している。上下方向は揺れを車体に伝達しないよう、空気バネ(図中青)で緩衝して支える。前後への力は車体に伝達するために、ボルスタアンカーという棒(図中赤)で連結している。ボルスタアンカーは台車の重心に繋ぎ、力の作用点をレールに当てられるよう配置される。ここでは台車の力の作用点ががレール面の高さに設定されており、台車の低重心化に貢献している。

先頭台車は1軸の台車で、パンクに備えて前後に小さい補助車輪があるため自立できる。上部側面車輪4輪、下部側面車輪2輪で支えている。
下部側面車輪1輪はパンクに備えてタイヤ下部のリムが大きくなっているのが分かる。
タイヤのついている台枠を囲うように揺れ枕があり、これが車体とリンクで結合されることで、重心を押さえながらも、あたかもタイヤの中心に回転軸があるような首振りをする。
またこれは東芝や日立を問わず1960年代の跨座式モノレールに見られる特徴だが、床の段差が多いという特徴がある。
昔の跨座式モノレールは低重心構造を採用しているため、客室の床をなるべくレールに近づけていた。結果、タイヤを置くスペースが限られるため、タイヤハウスがバスのように出っ張る形になっていた。
その後、日立が開発した東京モノレールでは輸送力が不足し、ボギー台車による大型化が進んだ。また床の出っ張りがバリアフリー的な観点から適さないとして、1970年の大阪万博以降は足回りを格納するために床をレールから嵩上げした、車高の高いモノレールが普及していく。(たとえば、舞浜リゾートラインと東京モノレールを比較すると、前者が高重心であることがわかる)
東芝モノレールが進化していたらどのような大型化施策がとられたのだろうか。東芝の資料には段差を軽減した車両図面もあることから、東芝は既にこの段差の問題点を認識して次の技術開発に着手していたのかもしれない。

日本跨座式モノレールは、日立式のデメリットであった車内の段差をなくすため、
床をかさ上げすることでタイヤを格納するスペースを確保し、
車内を平らにする工夫がされている。しかし重心が高くなり、高速走行を困難にした。
最後にモノレールの落下物対策について特筆しておこう。この車両には冷房装置がなく、暑いときは窓を開けることとなるが、この時モノレールから物を落としたら通行人にとって一大事である。

ドリーム交通の車両では、窓の開口部に網戸がついており、窓ガラスを下げて開けると開口部に網戸が繋がっていて、手や物を車外に出せないような構造になっていた。
近くを走る湘南モノレールでは、内側に折れる窓枠が金網に沿ってスライドし、落下物が車外に吸い出されることを防いでいる。余談だが、冷房化された湘南モノレールの車両ではエアコンから垂れる水滴についても落下対策を徹底しており、駅につくまでは車体に貯めておく仕組を有している。モノレールの落下物対策は入念に行わなければならないのだ。
モノレールの側面。

やや不鮮明だが、窓の開口部に網戸らしき網目が写っているのが分かる。
湘南モノレールの落下物対策は、中折れ窓を金網に固定するものである。

電気の特徴
東芝式モノレールを動かす制御装置は、運転台のハンドル操作と電車の速度を照らし合わせて最適なパワーを送るもので、運転士の力量によらず適正な速度で走行できるよう機械が補助している。ブレーキは空気圧で制輪子を押し当てて摩擦で止めるもののほか、モーターを発電機代わりにして電気抵抗でブレーキをかける電気式の抑速ブレーキを有している。この抑速ブレーキと呼ばれる装置は、山道で自動車が使用するエンジンブレーキと同様の効果を持つ装置で、急こう配の多かったドリーム交通線には特に必要な装備であったといえる。これは電車が走れない地形に適応できるモノレールを売りに出すうえで必要な装備だったはずだ。
東芝式モノレールの安全装置として、ドリームモノレールは自動列車停止装置(ATS)と自動列車制御装置(ATC)を装備している。
ATSは、列車が速度超過を起こしたときにブレーキをかけ列車を安全に停止する装置である。デメリットとして、速度を超過したら問答無用で列車を完全に止めてしまうことがある。
これに対しATCは、制限速度を超過した時にブレーキをかけるのはATSと同じだが、列車を完全に停止するのではなく、制限速度以下に減速させたらブレーキを解除して運転を継続することが出来る装置であり、いわば運転士の代わりに速度制御を行う装置と言える。速度は最高速度である時速60キロとその半分の30キロに対応していて、コイルから信号を発することで受信した車両が速度を比較し、ブレーキをかけるか判断する。このATCとATSによって、自動的に駅の定位置に停止することも可能であるように謳う文書もある。
なお、ライバルである日立が自動制御をモノレールに導入するのが1970年の大阪万博。営業線でのATC導入は1985年と遅れ、東京モノレールにATCが導入されるのが1992年と差が開く。実は東芝がドリーム交通に組み込んだ制御技術は、羽田線に対して20年もリードしていたこととなる。歴史が違えば、東芝がモノレールの無人運転を一足早く実用化していたかもしれないと思うと、ますますその未来が悔やまれてならない。
一方で、ATSやATCという高度な制御技術を採用していながら、列車の正面衝突を防ぐ閉塞には票券閉塞というアナログな方法を採用している。

票券閉塞とは単線であるモノレールで続行運転を可能にするための閉塞方式で、大船~小雀信号場、小雀信号場~ドリームランドにそれぞれ通行票を割り当てておき、その区間を走行する列車を1本に絞るものである。通行票は通券という券に複製することが可能で、その場合、複数の列車を続行運転させることが出来る。この方式の採用によって、ドリームランド駅に列車が居る中でももう1本を入庫させたりすることが可能である。(実際にそのような運転がされたかは定かでない。)この方式は、各駅・信号場に人を待機させる必要がある非自動的な閉塞方式は、近隣では1971年まで江ノ電が採用していた。

その他営業面について
乗車券については大人片道170円、往復300円であった。当時の国鉄運賃が初乗り20円(2021年現在140円)であったことから、現代の価値に換算して片道1200円程度であったとされる。乗車券は自動販売機によって発売されていたようだが、インターネットでよく見かける硬券乗車券を販売していたのかは定かでない。ほかに団体旅客に一枚ずつ付与する団体分乗券や、ドリームランドの入園券とセットで販売している乗車券などが発売されていたようだ。


往復乗車券。日付がはいっていないため、実際に販売されたものではなく、休止後の大船駅から持ち出されたものと思われる。

団体分乗証。こちらは日付がないことに加え、有効期限の記載もない。

ホテルなどへの長期滞在を考えたものだろうか。

ドリームランド割引入園券つき往復乗車券。入園料が平日と休日で異なったためか、料金は印刷ではなくハンコになっている。

まとめ
ドリーム交通大船線のモノレールは、その特異さと辿った運命から、失敗作として話題にされる機会が散見される。たしかに焦りがあったことは否めないが、実績ある方式を採用し堅実な道を歩んだ他社に対し、東芝の国産技術は日本の未来を見据えた意欲的な開発をしていたことが伺える。
日立式モノレールには、車両更新や沖縄都市モノレールの延伸などの明るいニュースのなかで、三菱重工が自身の手がけた湘南モノレールの株を手放し、日本車輌を中心に東芝も参画した上野動物園モノレールが2019年に運行休止するなど、規格が特殊なモノレールの未来には厳しい現実がある。また線路が一本しかないため、災害時に地面に降りて避難しなくてはならないモノレールの評価が変わってきている。
昭和の時代には人口の増加とともに土地が開発され、数々の新交通が立案された。結果として夢破れた形にはなったが、山岳地の多い地形の中で都市交通のあり方を模索した一つの形として、ドリーム交通モノレールを見直すきっかけとしていただきたい。

参考資料

※このページは休日自衛隊様に執筆を依頼しました。
記事に関するお問い合わせは下記リンクへお願いいたします。
休日自衛隊ライブドア基地 JHSDF livedoor base

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