70年代登場施設

1970年の土地売却後、4分の3に縮小した敷地となり、外周列車が営業終了。冒険の国と子供の国があった場所には73年よりドリームハイツが建てられ、新たにヤング層をターゲットとした絶叫系、回転系のアトラクションが導入された。

シャトルループ
敷地が削られたドリームランドの起死回生とも言われる、
園内西側(向かって左)の位置に、1979年3月21日に登場したジェットコースター。
ジェットコースターで有名な独・アントン・シュワルツコフ社製の国内初360度回転型であった。
子供だけでなく若者中心に客層を広げようと14億円をかけて日本で初めて導入。
更に多額をかけテレビやラジオなどあらゆる媒体で宣伝を行った。
話題性あってかこの年、120万人を記録。

その後回転型コースターを初め、様々な絶叫マシンの輸入も普通になり、としまえんやナガシマスパーランドにも設置され、次第にどこにでもあるアトラクションとなった。人気は年々落ちたが、閉園時まで存在し、閉園後は車体などが小山ゆうえんちに送られていたようである。
なお、現在でもナガシマスパーランドにて1年後に導入された同メーカーで全く同じ姿のものが現役であり、国内最後である。

横浜・奈良ドリームランド記念アルバム、輸入時の神奈川新聞記事(1979年) ※クリックで拡大

大入り袋も出たという、1980年初頭。



「ぜんぶで 37びょうかん。おわった あと あちあがれないほどの ものすごさだよ。」

とドラえもんも絶賛している。(小学一年生 1979年より)

1997年 首都圏遊園地&テーマパークより。
車体はオレンジから水色の塗装となっている。

ジャングル探検船
冒険の国巡航船が、土地縮小に伴いフリーウェイの跡地に小規模になって再建築されたもの。
70年前半頃から晩年までの場所に移動した。
(船は再利用と見られるが、冒険の国とは進行方向が反対のため、逆向きに改造されている説がある?)
ディズニーランドのアトラクションをモデルに、アフリカのジャングルを案内する内容。閉園まで存在。
後期では、イベントチームが船に乗り込んで盛り上げるパフォーマンスを1回1回行うなど、まさにドリームならではのアトラクション。


写真:シェルポのブログ


1976年頃の様子。看板はずっと変っていない。

80年頃撮影。船の改装中の写真かもしれないが、詳細不明。

園内最奥のドッグヤードの様子(1993年頃)

大海賊
別名、サスペンスゾーンスリルロマン大海賊。
1971年オープンのウォーターライド。閉園まで存在していた。
1周 271m の水路を船に乗り、14 世紀のカリブ海の世界へ。

オープンして数年の73年頃

閉園日(2002年)

ライドの様子 (遊園地ぴあより)

1996年にはアトラクション内4箇所に大砲から煙がでるスモークマシンが導入された。 (遊園地マップル97より)

おばけ屋敷
化け猫?の乗った屋根が特徴的。
70年代に登場し、閉園まで同じ姿で営業されていた。
従業員はほとんどのアトラクションに無料で入れたが、お化け屋敷は運営が外注(雅叙園)のために有料であったという。


お化け屋敷の外観(1990年頃)

初代メリーゴーランド
お化け屋敷の前に76年登場。屋根の赤いメリーゴーランド。1990年まで存在。
製造元調査中。
美少女戦士ポワトリンの初代ED(1990年)にて最後の勇姿が確認できる。



横浜シーガル 1989年

ロックンロール
79年シャトルループと同時期に設置、プールの近くに登場。全体回転するタイプ。
メーカーはゴーカートやサーキット2000などと一緒のミゼッティ工業。
閉園時まで存在した。

1979年パンフレットより。新品のころ。

ビックリハウス
70年代前半登場。どこの遊園地にもあるメジャーなアトラクション。
モーターが一部故障して人力で動かした時期もあったらしい。
92年ごろ、老朽化のためか入れ替わっているようである。
ちなみに製造は大和広告工芸(ここ?)⇒美造社とありトーゴ製ではない。
「日本の遊園地の歴史のほぼそのもの」といわれる(株)トーゴの機械がドリームに導入されたのは、
スカイサイクル(89年)以降であり、ドリームの異端さを再認識した・・・


80年頃撮影。古い外観が怖くて既にビックリだ。後にこうなる。(ぴあ 1998年)

トランポリン
79年に登場と思われる。人気アトラクションであり、
90年代前半頃に写真のカラフルなものに入れ替えられているようだ。

この写真は作られた当初と同じものらしい(遊園地ぴあ 1998)

奥に見えるのは旧ビックリハウス。(関東周辺の遊園地 1996)

スリラー迷路館
※営業開始時期調査中。(89年までのマップでは室内遊戯場名義。遊戯場内で、
ミラーハウスの迷路のようなブースのみの名称。初期は雅叙園運営。)

化け物がたくさん現れるミラー張りの通路を手探りで進み出口を探す。
奈良と共通。室内遊戯場(ゲームセンター)に続いている。
閉園時まで存在。

遊戯場内内観(外観?) ぴあ遊園地 1996より

室内遊戯場は奈良ドリームランドにも。(80年ごろ?)

子供の国(ちびっこ動物園など)(詳)
70年代前半のハイツ建設で、お伽の城より東側にあったアトラクション数種(後述)が、一旦は園内入り口西側(孔雀コーナー、後のシャトルループ位置)の一帯に移設されたものが、シャトルループ建設時にお伽の城の周辺に小規模になって再移設(元の位置付近に戻った)されたらしい。
ちびっこ動物園には、小さな池があり、ペンギン、うさぎ、ヤギ、孔雀などを飼育しており、その外周をお伽列車を走らせていた。シャトルループ建設時の記事と当時の写真等によると、飛行塔、ピーターパンなどの遊具があったという。
シャトルループが完成した79年には、お伽の城の周りを囲うようにお伽列車が再移設され、ちびっこ動物園もその中に移った。88年ごろ、お城が迷路に改装された後も営業していたようだが、90年前後に場所ごとなくなっている。飛行塔はお城のすぐ南側に再移設され、80年代頃まで営業しているが、ピーターパンは不明(78年で撤去?)。プールとスケート場の裏側に位置し、つう利も狭いため、客足が悪かったという。

ミニSL(チビロコ)
70年代子供の国のころより存在が確認される、おとぎ列車よりもさらに小さなSL。

シャトルループ建設後、晩年の子供の国エリアに引越し、パンフレットによると94年ごろまで存在していたようだ。

76年ごろの様子。

ラジコンカー&ラジコンシップ
78年より前に存在していたとされる、大海賊横に位置した遊具場。
営業は96年頃まで。コインで遊べるミニ遊具だったようだ。

オーバルコースの中にラジコンカー数台あり、中には入れず、テーブルからラジコンのリモコンで操作するもの。追記(2019年)→オートスクーターのようなエリア内で子供の乗るミニカーの遊具施設だったという証言もある。どっちもあったのかもしれない。
園内マップでは(ワンダーホイールの大きさの関係で)裏に位置している場合が多いが、実際は野外ステージと大海賊の間に存在した。運営会社社長の本

ラジコンシップはラジコンカーと並んではおらず、当初は潜水艦の池の一部をコースロープで仕切って造っており、後に統合したようだ。

1994年当時の園内マップに描かれたイメージ。既に紹介がない。

パラトルーパー
79年シャトルループと同時期に設置。アメリカ製。
落下傘の形をした回転するアトラクション。閉園まで存在。同じもの

るるぶ 首都圏遊園地&テーマパーク1999 より

シャトルハイウェイ

79年のシャトルループ導入時に完成。
92年ごろ、『ゴーカート』に改名になって閉園まで存在した。

1980年頃のパンフレットより。

ラウンドアップ
プール、コーヒーカップの付近。
92~93年の間になくなった模様。

1985年撮影

パルテノン神殿・パルテノンゲート
1973年設置。ラブスクエアーエリアが分離していた頃までの正式な本園の入り口であった、大きなゲート。音楽隊の歓迎演奏などに使われた。
90年ごろまで存在し、
同場所に2代目のメリーゴーランドが建った。

1980年頃。音楽隊はよくこのゲートの前で立奏した。
左右の建物は当時事務所で、立奏の待機所にも使われた。

1988年ごろの園内マップ。

ドリーム銀座
1974年開業の近隣(ドリームハイツ)住民へ向けたアーケード商店街。
当初はドリームランドの土産物も売っていた。70年代後半で既にテナントがあまり入っていなかった。
飲食店がが多く、喫茶店やドリームランド経営のゲームセンター、中央の通路の迎えはイタリアンの店などがあった。80年代中期頃に相鉄ローゼンが入った(2001年10月26日(金)で閉店。)
閉園後まで建物は存在したが、晩年は医院が2つ残る以外、ほぼシャッター通りであり、
90年中期頃からそれまで展望台東側の下の倉庫周辺でで準備していたイベントチームが店舗がエンパイアのソファなどの備品を使い詰所として利用、演者はここから出入りしパフォーマンスを行った。(チックタックの衝立の裏側から出入り。)
(入居店舗は雑記の方にまとめています。)

1976年頃。園内からドリーム銀座方向。花時計健在…

こちらは1980年頃。シャトルループが見える。


晩年の遊園地ガイドでもそうてつローゼンとしか説明されていない。
(首都圏遊園地&テーマパーク 2001,2002)

閉園日(2002年撮影)

ドリーム名画座 
ドリーム銀座の隣に存在した映画館。(もちろん)旬の映画をやっていた。
建物のみ閉園までシュミレーションシアター(97年~)として利用されていた。
月世界探索館の撤去後に出来たと思われる。

レストランループ
セルフサービスで180席あるメインの食事どころ。閉園まで存在した。

コーヒーショップシャトル
調査中。70年代後期に食事どころとして存在したようだ。レストランループの初期名称かも。

パチンコデール
1972年から営業開始のパチンコ店。元電光ニュース館。
晩年はゲームパレスデールとも呼ばれ、1990年代まで営業し建物ごと取り壊された。


昭和40年代 提供:国吉邦子/戸塚区制70周年記念写真集より

ドリームランド会館(ドリームランド館)
70年代中盤に建てられた夢のホテル直結で、ボウリング場の南側に存在した建物。
ホテル解体とともに無くなっている。詳細不明。

コメント

  1. 飯島明美(旧姓渡辺) より:

    シャトルループ最高速度は90キロです。 当時園内放送で乗り物案内放送してた者です。 めっちゃ懐かしいです。 パルテノン門(B正面)でもぎり、放送全般担当してました。 みんな元気かな? シャトルループ全盛期で、毎週のように1000円単位で大入り出てました。 狭い園内で、2万人はキツイでしょ!

  2. たか より:

    ドリームランドのラジコンで検索して来ました。大海賊の前あたりにありましたよ!テーブルの上にデカい送信機が置いてあって100円入れると動かせました。ジープと、6輪タイレルと、カウンタックがあったのは覚えてます。トヨタ2000GTもあったかな?すごい遅いんですけどね。で、そのすぐ隣には乗用の乗り物も併設されてたと思います!

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