モノレール

大船駅と横浜ドリームランドを結ぶかつて存在したモノレール、
「ドリーム交通大船線」についての簡単紹介ページです。

設計、当時の運営等の詳細をまとめた記事はこちら(2021.5.2UP‼)

写真:JR全日本

ドリームモノレール完成 

1966年4月28日、走行区間では、当時県下最長(5.6キロメートル)の
モノレールが国鉄大船駅~横浜ドリームランド(俣野町)間に完成した。
ドリームランドの傍係会社ドリーム交通が、総工費25億円をかけて
建設したもので、いままで、バスで15分かかっていた同区間が半分の8分に短縮された。車両は跨座式の3両固定編成で、定員は198人。
アルプスを走るアロー・ライン型モノレールにならって先端の頭部が
つき出た赤・クリーム・紺色の三色のスマートなスタイル。
コースも変化に富み、大船観音わきの森林地帯から小雀浄水場を
地上30メートルの空中から見おろしながら、東俣野町の森林をぬけてドリームランドにはいる。
晴れた日には伊豆、箱根、富士丹沢の連峰を眺められ、また
千分の百という急こう配か所もあってスリルとスピード感もあった。
しかし、残念ながら42年9月より運行が中止となり、今はその走る姿を
みることはできない。
40万人の40年史 戸塚 / 横浜市戸塚区役所/編 / 横浜市戸塚区役所 1980年より


電気車の科学 1966より 線路図、形式図と概要。(クリックで拡大)

開通記念乗車券(クリックで超拡大)
提供:休日自衛隊

江ノ電沿線新聞社様のご協力より、施工&運転開始当時のモノレールの写真をお借りしました。


★休止後の主な動き
69年ごろ 71年頃に再開を検討に向けて企画書が作成される。
82年 ドリーム交通、ドリーム開発(モノレール事業)とドリーム交通(別会社、バス事業)へ経営譲渡
88年 ダイエーと業務提携
95年 リニアモーターカーでの再開検討
01年 モノレールでの再開検討
~10月 ドリームランド閉園決定
02年 正式に廃止が決定。翌年より撤去工事開始。
ちなみに『東芝式跨座型モノレール』はドリームランド線と
奈良ドリームランド内にあったアトラクションのみであったらしい。

リニアモーターカー(HSST)導入に関する記事。
89年の横浜博覧会時、中内会長が搭乗したことがきっかけとされる。
環境調査等も行われ、かなり具体的な話だったが・・・。


横浜博覧会89’にて日本初公開のHSSTの様子(1989年)

大船駅~ドリームランド駅間橋脚撮影マップ


大船駅バス乗り場案内図とモノレール駅地図

ドリームランド駅


閉園直後のモノレールドリームランド駅とドリームランド周辺の橋脚の様子(2002年)
写真:シェルポのブログ

モノレールの代表的HPはこちらにリンクさせていただいています。


★その他、文献など

ドリームランドとモノレール

せんそうが終わり、平和な時代になりました。
昭和30年ごろになると、世の中がだいぶ落ち着き、けいざいも発てん
していきました。
そういうときに、ドリームランドの初代社長となる松尾さんは、子どもたちにゆめをあたえるものをつくってやりたいと考えていました。

松尾さんはアメリカのディズニーランドのひょうばんを聞き、さっそく見学に行きました。
かれはそのすばらしさにかんどうし、このようなものをぜひ日本にも
つくってみたいものだと考え、すぐ場所えらびにかかりました。

決定したのが奈良市とこの俣野町です。

松尾さんはドリームランドに一つの考えをもっていました。
それは「子どもに楽しさを、おとなには明日へのかてを。」ということです。この考えについて、げんざいドリームランドそうむ部長の野村さんは
次のように話してくれました。
「今までの遊園とはのり物中心で、おとなも子どももつかれる遊園地でした。そこで先代社長は、ディズニーランドにならい、のり物を全面せきの
半分くらいにして、その他は広いスペースに緑やベンチをおきました。
おとなも子どもも、のんびり楽しめるものにしたいと考えたのです。
当時は、ようやく、けいざいが発てんしてきており、お父さんは仕事で
つかれることがふえてきたこともあって、そう考えたのでした」
工事は昭和38年に始まり、1年のとっかん工事で翌39ねんにかんせいしました。
その後、いろいろな事じょうで、ドリームランドをせまくしなかれば
ならなくなりました。外しゅう列車をなくしたり、遊園地の
およそ半分をけずりドリームハイツけんせつにあてたりしました。

モノレールは、ドリームランドにお客さんを運ぶ目てきでつくられ
昭和41年にかんせいしました。
しかし、重量オーバーできけんということがわかり、1年後にストップしてしまいました。
げんざい、通勤用にモノレールを走らせてほしいという住民の声が
ありますが、野村さんの話によりば「しょうらいモノレールを
通すという方向で検討しております。しかし復活までには、いろいろ
考えなければならないむずかしい問題が残っています。」ということです。
げんざいのドリームランドは、はじめのころとはちがって、のり物中心になっています。野村さんは「お客さんがスリルあるのり物をもとめるため、今後ものり物中心でやっていきますが、ふ近の住宅のことを考え、音の出ないものにしていきたい。また水族館など教育しせつも考えています。」と話していました。

わたしたちのまち / 横浜市立俣野小学校創立10周年記念事業実行委員会  より 1985

ドリームランドモノレール

ドリームランドが開園した翌年1966年5月に開業した。
現在の俣野公園と横浜薬科大学の中間にあるバスターミナルの周辺に
「モノレールドリームランド駅」は存在した。
線路距離は5.3km、大船まで10~15分
「跨座式」というレールが下にあるタイプ
当時のモノレールは未来的な夢の乗り物であった。
橋げたの亀裂と車両の重量オーバー
車両は16トンも重量オーバーしていた。
開業翌年の9月に営業休止
廃止が正式に決定したのは30年以上経った2002年
ドリームランド閉園の年であった。
数年前までは一部の橋脚や軌道が残っていた。
なお、同じ遊園地のモノレールとして 年に誕生した向ヶ丘遊園モノレールは閉園2年前まで30年以上営業し、大船と江ノ島を結ぶ湘南モノレールも
1971年に開通後今も現役である。
戸塚区制70周年記念写真集 短命に終わった夢のモノレールより 2009

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