入口から大噴水までのアトラクション以外のエリアの総称。
開園時は5つのエリアで分けられ、名前が付けられていたが、これ以降分けて呼ばれている様子はない。
凱旋門(正面入り口)
入り口といったり、平和の門といったり、時代によって色々。前に衛兵が立つ。
閉園時まで存在。
写真:JR全日本
1980年ごろ。ラブスクエアーエリアのできたての正門前の写真。展望台上にあるはずの外周列車が真正面に。
閉園日の様子
門をくぐってすぐのウエルカム看板(1980年)は後にドリちゃんランちゃんのイラストに。
ベンチのフォトスポットは数年後に設置された。
衛兵
凱旋門(正面入り口)前に2人立ち、新しく来た衛兵と交代する『衛兵交代』30分に1度
行っていた。
開園当初は衛兵専門社員もいたらしく、その後も80年代中期頃まで続き終了したが、
90年代に入ると再登場したこともあったようだ。また、閉園直前には活躍した。
音楽隊とは異なる役職であり、通常はパレードには参加しないが、
開園20周年のパレードの際には、音楽隊と共に参加し、国旗掲揚、交代などのパフォーマンスを行った。
交代時、掛け声があるらしい。
写真:JR全日本
展望台
入り口入ってすぐの建物。閉園時まで存在。元々は外周列車が走っていた。
廃止後も80年代後半まで車両が置かれ、休憩スペースとなっていた。
展望台の下は東西に4つの倉庫が隠されており、東側の倉庫に新旧衣装や備品を保管していた。
1980年、園内側からみた展望台。
このステージは、閉園まで存在したが、晩年はハートマークのみ飾られていた。(ラブの名残)
宮廷庭園
大花壇と噴水。中心には明治天皇の像が。
園内全体の設計は株式会社乃村工藝社が担当した。
観光カラーガイドシリーズ 1967より
大噴水
こどもの国の前に存在した大きな丸い噴水。開園後3年でレインボープール&マンモススケートリンクになったため、噴水の形としての寿命は非常に短い。
円形レストラン
レストランドリーム→スーパードリーム(~82年?)→ハーフトップ(ホームセンター)→バンドール(ディスカウントストア)の順で時代と共に変わっている。ドリームランドに入園しなくても、園外から入店できる構造であり、ミュージックエキスプレス側の外一帯がホームセンターの駐車場にあたる。
店舗となった70年代に園内施設としての扱いではなくなっていたと思われる。屋上の丸い部分はパラソルであり、ビアガーデンとなっている。(パラソルは86年ごろまで確認できる。)
尚、園内の食堂関係(エンパイア以外)は雅叙園観光の運営であった。
(おいしくないとの批評も)
開園当時の外観と内観(商業会 1964より)
スーパードリームになってからの外観(1980年代前半頃)
花時計
円形レストランの真正面、宮廷庭園の噴水の先に位置した。
大噴水(後にプールに)、円形レストラン、宮廷庭園
写真:JR全日本
ショッピングストリート
正面入り口向かって左右にあった店舗群。インフォメーション本部もココに。晩年のキャラクターワールド付近。
世界各国の名産品が入手できる。西側の並びは後にドリーム銀座となった模様。
ショッピングストリートの夜景。 1965年ごろ
ショッピングストリートに当たる店舗沿いには
1966年11月にセイコーが寄贈した世界時計塔が完成している。
野外劇場
野外ステージ。ロープウェイやシャトルループの園内中心部にあったが、
70年代後半(おそらくシャトルループ移設頃)には園内奥にまるごと移設。
国内外の一流芸人によるいろんなショーやステージが行われた。
晩年のステージ
85年のアイドルイベント(伊藤麻衣子)
中央下部。円形レストランの隣。右奥に月世界探検館も。
写真:JR全日本
外周列車 (詳)
50人乗りで遊園地の周り約2キロを一周。詳細は調査中だが、2編成あったと思われる。
途中に駅が3つある。富士車輌製造。
奈良では閉園まで運行していたが、横浜では70年頃ハイツ建設と共に外周列車を走られることが不可能となり、1編成を70年代子供の国に展示、もう1編成を展望台の上で客車を休憩所として利用していた。90年ごろまで存在が確認できるが、その後撤去され、どちらかが鉄工所を経由して先頭車両は横浜内の幼稚園に寄付されている。
写真:JR全日本
奈良ドリームランドの外周列車(2005年撮影。)奈良では1号機関車と弁慶号が交互に使用されており、閉園まで運行していた。
写真:ふしぎMAHO堂 夢の着ぐるみ王国
展示場(世界の人形館)
園内東側(正面右側)の冒険の国側に存在した。
世界歴史・人形博物館、世界有名人人形館と別称があるようで、偉人の人形が展示されていたとされる。
70年以降、中世の城が『人形ホール』となっており、内容が移設されていた可能性もある。
初期のマップではエンパイアの近くにも博物館があり、詳細不明のため調査中。。。
ダブルデッカー
2階建てバス。園内を巡回。奈良ドリームランドと共通と思われる。
毎日グラフの園内紹介イラスト 1966
消防車
ダブルデッカーと共に園内を巡回していた。
67年ごろ事故があり、早期に廃止されたと思われる。
警察公論 1967より。ドリームランド遊覧用の小型消防車による3歳女児の死亡事故。
ペリカン車
ペリカンの形をした子供を乗せる巡回車。
ブラスバンド(ドリームランド吹奏音楽隊)(詳)
ドリームランド内で1日3回、演奏しながら行進するパレードを行う。
全盛期ではドリームランド以外の様々なイベントへも出張し、活躍した。
84年頃までパレード時には「横浜バトン」という女性バトンチームと一緒に演奏していた。
正式な音楽隊(常勤雇用)としての活動は1964~89年であり、解散後は日本マーチングバンド・バトントワーリング協会の協力を経てイベント時にパレードを行った。
戸塚区70周年記念写真集より
無料休憩所
ショッピングストリートと月世界探検館の間に位置する休憩所。
70年代登場か?(調査中)
コメント
実家がドリームハイツです。子供の頃は地元のお店や新聞社から入場チケットをもらえ、よく遊びに行っていました。その頃は1990年代でハーフトップやドリーム銀座があり、こちらもよく利用していました。
懐かしいです。
興味深い写真等もありがとうございます。開園したてはこんなに広かったのかと驚きです。