70年代子供の国

70年代には、役8年間くらい、子供の国が園内入り口西側に存在した時期があります。

この『子供の国ハイツ建設後、園内手前西側移動説』ですが、
この度結論が出ました!(70年代ページで追記はしたのですが)ので、補足を含めて改めて解説します。


元祖「子供の国」はもともと園内東奥側に位置した、ドリームハイツの建設に伴い敷地売却された場所です。
ハイツ建設の1970年には子供の国にあった遊具は撤去または少し西となり側に位置し、
間一髪売却を逃れた場所「おとぎの城」周辺に移された・・・・ものだと思っていました。

しかし80年専門誌「レジャー産業」のシャトルループ建設時の記事では下記のように出ています。

「ちびっこ動物園、飛行塔、お伽列車、ピーターパンなどは・・・シャトルループの建設後に移動」当時の園内図(下図)を見ると、子供の国の名称は既になく園内西奥側のお城の周りに「元おとぎの国」内のお伽列車、飛行塔が存在。
これは、自分の認識していた、「ハイツ建設後に引越しした」場所です。

※クリックで拡大
ここではじめて「え?じゃあ、子供の国の遊具って、ハイツ建設後いったん入り口付近の西側に移動したの?!(大幅移動すぎるよ!)」
という疑惑が出てきました。
でも、敷地削去頃に、あの「野外ステージ」も大規模移動していることだし、その時にいくつかの遊具を移動させた『園内大整理』があったのかもしれません。
(大海賊やジャングル探検船やドリーム銀座はその後に作られたのです。)
70年代中期の記録(ハイツ建設開始~シャトルループ以前)は、報道記録もなく、住宅地図ですら60年代から更新されておらず、探せばあるのかもしれないが、とにかく自分の手元に資料のない、園内施設の移り変わりの情報がゴッソリ抜けていた時代でした。

音楽隊の楽堂(詰所)はちょうど園西手前の道路を挟んだ外だったので、取材の際に聞いてみると
「シャトルループ以前はあの場所には小さな汽車があって線路が囲うように小動物のいる場所があった」と判明。
その時にちびっこ動物園とお伽列車が確かに移動していたことがわかり、だんだん見えてきました。

もともと園入り口西側は、シャトルループ建設前は、月世界探検館、ロープウェイの乗り場クジャクの飼育小屋などがあったりと
遊具があった場所ではなく、それらがなくなった70年代、何が建っていたかの情報があやふやでした。

そんな中で、決定的な証拠として楽堂前の70年代中期頃のフェンス越しに園内の該当箇所が写った写真が見つかりました!!↓

元音楽隊員さんが、パレード後記念に撮影したものですが
なんと背景に飛行塔とピーターパン、とピンクの建物(用途不明)が写っていました!

それで、やっと抜けた情報(パズルのピース)が埋まりました。

ということで、結論は

①元祖子供の国(園東奥側)
②70年頃ハイツ建設時に西手前に移動(ちびっこ動物園追加)
③79年シャトルループ建設後はお城の周囲に再び移動

です。

②70年代の子供の国のイメージ


(想像なので、この場所について思い出した方ご連絡ください。修正します。
写真のフェンス後ろの柵はなんだろう?)

もしかしたら元祖こどもの国にあったデイジィチェアーや水上スクーターなどの遊具も②の一帯に移動していたのかもしれません。
ちなみに、ピーターパンは③の移動の際に無くなっているようです。

また、③の時代「子供の国」の名称がいつまで残っていたか定かではありません。虹のゲートがかかっており、独立した場所ではあったようですが、プールの裏に位置するため客足が少なく、当時の人の記憶にも残りにくい場所であったようです。
1990年までは存在したようですが、お城が取り壊された後場所ごと無くなっています。
③の時代も園内地図こそあれ、写真は②の時代と同様にめったに存在しないのです。他にも情報が出てくることを祈ります。

 

 

 

探偵物語09話に登場するお伽列車の駅舎(こちらは、79年冬放送でシャトルループも出てくるため、子供の国自体が③(東奥)に戻ってからのモノ)
ピンクだけど、上記の②時代の写真とは違う建物かもしれませんね。

「ドリームランドを語る会」レポート


去る2018年2月10日、藤沢の江ノ電沿線新聞社主催で「横浜ドリームランドを語る会」イベントが行われました。

参加者は元従業員さんが7~8名ほど、ドリームにゆかりのある人、遊園地好きが6~7人というメンバー。
さよなら横浜ドリームランド」を観て自己紹介とドリームについてを1人づつ話し、Facebookで交流させて頂いてる、元音楽隊さんからの70年代のパレード音源と参加者ご持参の横浜ドリームランドがロケ地になった「ザ・ガードマン22話」を視聴しました。

▼印象に残った話を箇条書き▼
・防衛博覧会(自衛隊協力)

戦闘訓練などの催しをドリームハイツになったあたり(正面入口東側?)で行っていた。防衛博で戦闘機がエンパイアホテルより下まで低空飛行した。
・初期のアトラクションは変速機が単純なものだったが、後々増えた外国輸入のアトラクションはプログラム運転なので修理が大変だった。シャトルループは毎朝点検していた。コンドルが運転中、途中で止まってしまい、はしご車で乗客を救出した。
・老朽化で難しいものもあったが、閉園の日は全部動かした。夜11時くらいまで動かした。無事終了できてよかった。
・ラクダに乗ってパレードなどもあった。(園内飼育担当)動物のお産にも立ち会った。
・フォーク・ソングが流行り、ドリームから新しいバンドが誕生していた。
・モノレール駅を壊す前に芸術グループがアトリエに使ってて、その中で映画上映をするので見に行った。
(モノレール運転中は定期をもらって出勤していた社員さんもいました)
・ヘリの遊泳はエンパイアホテルなどがないころは江ノ島まで飛んでいた。園内回周は3000円、江ノ島は5000円だった。
・「キイハンター」にはドリームランドが良く出ていた。
・今のようなコンピュータ操作や自動でなく、アドリブや人が動かしている暖かさがあった。
・「
湘南あそびが丘」と言う名称は、宮廷庭園が無料になった時(ラブスクエア)ごろから付けたのだと思う。
⇒これは疑問に思っていて、手持ちの資料には正確にわかるものがありません。
85年以降は使われているようなので、正確にはドリーム自体が敢えて「日本向け」を意識してPRを始めた、TDL誕生前後頃かもしれないと思ってます。

参加者様の貴重な話を聞かせていただき、本当に有意義な時間でした。
主催の江ノ電沿線新聞社会長の吉田克彦様はこのイベントを開催した趣旨として地元ながら若い人が横浜ドリームランドの存在を知らなくなっている事を挙げられていました。

それはまさしくこのHPを立ち上げた理由と同じです。
ドリームランドの素晴らしさを当時の方々に失礼のないように、閉園後に生まれた人たちにも伝えていく資料館のようにHPを作っていければと思っています。
課題は、ドリームに縁のある人々がインターネットを利用しない世代なために、なかなか見つけていただけないところです。

形が無くなった横浜ドリームランドを語り継ぐために、ネットだけでなくこうしたイベントや展示会を企画できれば、多くの年齢層の方に知って頂けるのかもしれません。
今回は当HPの宣伝をする時間も作っていただけましたので、これを機に認知が少しでも上がれば、と願っています。

▼会場で聴いた音楽隊の音源(1972年1月9日のもの)です。
サプライズでした。有難うございます!