ドリちゃんランちゃんヒストリー

ドリちゃん、ランちゃんは横浜ドリームランドで生まれたキャラクターです。
キャラクター紹介についてはこちらのページをご覧ください。(スマホ閲覧の場合、ものすごく横画面推薦です。
ここでは主に着ぐるみのドリちゃんとランちゃんについて掘り下げていきます。
ドリちゃんとランちゃん(以下ドリラン)は2000年ごろに現在(現在)の顔にモデルチェンジされています。
「ドリームキッズの大冒険」終了後、2000年から奈良ドリームランドでもドリちゃんが登場していますが、まもなくして横浜ドリームランドが閉園になったことでモデルチェンジ後のドリランが実際に活躍した年数は奈良ドリームランドでのほうが長いということになります。

横浜ドリームランド 西暦 奈良ドリームランド
開園と共にドリちゃん(イラスト)誕生。
大手作家製作説あり。
園内の着ぐるみ(ぬいぐるみ)は独自の独特な怪獣などのキャラクターを使用。
1964 横浜と同様にオリジナルのキャラクターを利用。
年度によって、契約した他ブランドのキャラクターも登場していた様子。
ランちゃん(イラスト)誕生。社員製作。
この頃はまだ、園内ではオリジナルの動物キャラ着ぐるみ等でショーを行っている。
1984
・・・
 


キャラクターPR強化のため、衛兵キャストと代わる形でドリちゃんの着ぐるみが1986年の秋に誕生。

グラスファイバー製。(重い)
ランちゃんは文献では同時期のようですが、翌年87年夏のCMで確認されるので、1年後にデビューかもしれない。
基本的にはドリちゃんと同じ構造に丸く大きな目、紐状の赤い髪。青い帽子の中央にドリームパーク時代のマーク↓をつけている。
このドリランは2000年夏頃まで長年にわたって活躍。(途中、ランちゃんの色変更?→2000年に紫色帽子、金髪版確認。やキャラクターワールドの関係でワーナーブラザーズのキャラと契約期間有。)昔の遊園地のガイドブックなどでも出てきます。

1986
1998 オリジナルのキャラクターやローカル子供番組「ドリームキッズの大冒険」のドリちゃんランちゃんという同名のキャラクター活躍(収録時のみ)。カラーパンダの顔出し着ぐるみをきた役者さんらが演じる斬新で面白い番組でした。
製作元の筑濱プロダクションに詳しく掲載されています。
以降の着ぐるみキャラクター(ボブ、カバ山ゴリ男、ビクトリー等、市販の着ぐるみを除く)も引き続き筑濱プロのデザインであり、名前も番組から継承してか、後に「ドリームキッズ」として総称されるようになります。
1999

ドリちゃん誕生祭(9月23日)

ダンスが踊れるようにリニューアル。閉園まで同じ。発泡スチロールに布張り。髪の毛はファー生地。目は黒い部分が見える。衣装はサテンかシャンタンのような生地の兵隊服にステージに立つ際は銀のマント着用。奈良より細身。
潜水艦のキャラ、キャプテン潮風(築濱プロ)やイノシシのイノちゃん、パンダやリスなどの動物も活躍。
2000
ドリちゃん誕生祭(横浜と同時期)

奈良での登場開始。頭部は横浜と同じデザインだが、顔の生地の素材、眉の位置が中央寄り。衣装はジャージ生地に胸元にフェルトで作った分かりやすい名札が付いている。
既出のキャラクターにドリちゃんが加わってドリームキャラクターズ」と呼ばれていました。

両遊園地でランちゃん誕生
画像が未確認なのでこちらも調査中です。横浜のランちゃんはドリちゃんと共にリニューアルされているかもしれません。
顔はドリちゃんと双子のように似ていて、黄色の紐状の髪に緑の目。黒い部分が少ないので視野が狭かったかもしれない。衣装はドリちゃんと同じ。
2001
ランちゃん誕生祭(9月下旬)
開催確認。

奈良に関しては、少なくとも1年遅くランちゃんが登場しています。
横浜とは全く異なる、奈良オリジナルのデザイン。元のイラストに近いイメージです。この年以降「ドリームキャラクターズ」は「ドリームキッズ」と呼ばれるようになります。
※この顔で園内に登場していたかは未確認。実際は2002年モデルだったのかも。
横浜閉園。さよならドリームランド」のVHSにドリラン出演。閉園時の横浜キャラクターは奈良(ドリラン)と小山ゆうえんち(イノシシ、キャプテン潮風)に移動します。パンダは横浜周辺のイベント用に残った様子。
ランちゃんはデザインが奈良と異なるため、閉園後は出てきていないようです。
2002 01~02年頃、横浜で使われていた看板、オブジェ等が置かれ、園内にたくさんのドリランのイラストが描かれました。
春以降は、横浜のドリちゃん(頭部のみ。衣装は引き続き奈良仕様)はそのまま奈良で使用されていた模様。
ランちゃんは奈良オリジナルのおなじみの顔ですが、目の部分が前年とは異なっています。
2003 ドリちゃんの頬にピンクの○がつきました。眉の位置は横浜と同じ。そのまま貼り付けたかもしれません。
2004 各キャラのフェルトの名札がはっきりとした文字に新調。
2005
ドリラン共に頭部新調。このまま閉園まで続くこととなりました。

ドリちゃんの眉の位置が2000年の登場時と同じく、中央寄りになりました。困り顔っぽいのがポイント。ランちゃんは、前年度までのものと同じ。古くなったための交換と思われます。
2006

ドリームガールズ

奈良で閉園前まで3~4年くらい開催されていたランちゃん、クルミちゃん(リス)、ラビちゃん(うさぎ)のショー。
このショー限定でのランちゃんは顔のみ、横浜時代と同じです。
音楽隊帽子をかぶっておらず、髪型が異なり、白髪に近い色と薄茶色のものが確認されます。
また、ドリちゃんも帽子無しバージョンが存在しますが、どのイベントで使用されていたかは不明。帽子無しのドリランは激レアかもしれません。

 

着ぐるみは特に家族写真が多いので、通常あまり公開はされないことに加え、横浜閉園に伴ったメディア露出が多かった関係で終盤のドリランが多く記録に残っています。
横浜時代は兵隊服しかなかったようですが、奈良で活躍してからは、通常の兵隊服をはじめ、白い音楽隊風服、ドレス、タキシード、着物、各ステージ衣装など用途に合わせて変化し、かなりの衣装持ちになっています。
※写真はドリちゃん&ランちゃんページ奈良ドリームランドのページでご覧ください。

 

「ドリームランドを語る会」レポート


去る2018年2月10日、藤沢の江ノ電沿線新聞社主催で「横浜ドリームランドを語る会」イベントが行われました。

参加者は元従業員さんが7~8名ほど、ドリームにゆかりのある人、遊園地好きが6~7人というメンバー。
さよなら横浜ドリームランド」を観て自己紹介とドリームについてを1人づつ話し、Facebookで交流させて頂いてる、元音楽隊さんからの70年代のパレード音源と参加者ご持参の横浜ドリームランドがロケ地になった「ザ・ガードマン22話」を視聴しました。

▼印象に残った話を箇条書き▼
・防衛博覧会(自衛隊協力)

戦闘訓練などの催しをドリームハイツになったあたり(正面入口東側?)で行っていた。防衛博で戦闘機がエンパイアホテルより下まで低空飛行した。
・初期のアトラクションは変速機が単純なものだったが、後々増えた外国輸入のアトラクションはプログラム運転なので修理が大変だった。シャトルループは毎朝点検していた。コンドルが運転中、途中で止まってしまい、はしご車で乗客を救出した。
・老朽化で難しいものもあったが、閉園の日は全部動かした。夜11時くらいまで動かした。無事終了できてよかった。
・ラクダに乗ってパレードなどもあった。(園内飼育担当)動物のお産にも立ち会った。
・フォーク・ソングが流行り、ドリームから新しいバンドが誕生していた。
・モノレール駅を壊す前に芸術グループがアトリエに使ってて、その中で映画上映をするので見に行った。
(モノレール運転中は定期をもらって出勤していた社員さんもいました)
・ヘリの遊泳はエンパイアホテルなどがないころは江ノ島まで飛んでいた。園内回周は3000円、江ノ島は5000円だった。
・「キイハンター」にはドリームランドが良く出ていた。
・今のようなコンピュータ操作や自動でなく、アドリブや人が動かしている暖かさがあった。
・「
湘南あそびが丘」と言う名称は、宮廷庭園が無料になった時(ラブスクエア)ごろから付けたのだと思う。
⇒これは疑問に思っていて、手持ちの資料には正確にわかるものがありません。
85年以降は使われているようなので、正確にはドリーム自体が敢えて「日本向け」を意識してPRを始めた、TDL誕生前後頃かもしれないと思ってます。

参加者様の貴重な話を聞かせていただき、本当に有意義な時間でした。
主催の江ノ電沿線新聞社会長の吉田克彦様はこのイベントを開催した趣旨として地元ながら若い人が横浜ドリームランドの存在を知らなくなっている事を挙げられていました。

それはまさしくこのHPを立ち上げた理由と同じです。
ドリームランドの素晴らしさを当時の方々に失礼のないように、閉園後に生まれた人たちにも伝えていく資料館のようにHPを作っていければと思っています。
課題は、ドリームに縁のある人々がインターネットを利用しない世代なために、なかなか見つけていただけないところです。

形が無くなった横浜ドリームランドを語り継ぐために、ネットだけでなくこうしたイベントや展示会を企画できれば、多くの年齢層の方に知って頂けるのかもしれません。
今回は当HPの宣伝をする時間も作っていただけましたので、これを機に認知が少しでも上がれば、と願っています。

▼会場で聴いた音楽隊の音源(1972年1月9日のもの)です。
サプライズでした。有難うございます!